英語講師の仕事

NARUは、療法院のスタッフと平行して児童英語講師もやってるわけなんですが、今まで全くその話しを書いてこなかったなー、と思い、ちょっとだけ。。と思いつつ、長くなりそうな予感ですが。笑

来年4月から全国の小学校で英語が必修化されます。そこでよく出るのが、「小学生のうちから外国語を教えると、母国語が疎かになってよろしくない」という意見です。もちろん対論は、「幼少期からやっていないと語学は身につかない」です。
私の意見を先に言うと、どちらもNOです。
まず「幼少期からやっていないと〜」論ですが、大人になって勉強をしてその道のプロになった方を知っているので、語学をやろうと思ったとき成人を過ぎていても問題のないことは実証されました。ただ、アメリカやイギリス風のアクセント(よく言う「ネイティブの発音」)を身につけるには、幼少期からやっていないとムリかと思います。10才までに「ネイティブ」の発音を聞いていないと、発話できないんです。(10才以下の子どもは大人では聞き取れない周波の音まで聞き取ることができ、聞き取れない音は発話しようがありません。)
次に「母国語が疎かになる〜」論ですが、私自身バイリンガルの端くれとして、これにも賛同しかねます。だって、小学校低学年の3年間をアメリカで過ごした私ですが、日本語の日常会話で困ることはまずありませんし、15才で再び海外に出るまで、学内の作文コンクールにかなりの確率で入賞していました。そりゃあ漢字の書き順間違いや、漢字自体が弱くてケータイ辞書片手に書類を書くことはありますが、同級生や周りの社会人の中で極端にできないと感じたことは、今のところないです。世界を見渡せばバイリンガルなんて珍しいものではないし、中には5・6カ国語を話す人達もいる中で、他言語ができることが第一言語を疎かにするというのはナンセンスです。
さて、日本人はよく「中高で6年間も英語を習ったのに、全く話せない(恥)」と言います。確かに6年間も勉強した言語が話せないのは問題ですが、私は(恥)の部分の方が気になっています。海外旅行に行っても、もじもじするだけで要求を伝えられないとか、理不尽な思いをしても我慢するとか…これは言語能力いかんの問題ではなく、国民性…日本人の国民的気質に問題があるんじゃないかと思うんです。
高校留学中、私は1つ年上の台湾出身の女の子と仲良くしていました。彼女は私より1年遅く留学して、英語の発音も「ネイティブの発音」とはほど遠く、ESL(英語が第二言語の子達のためのクラスで、移民や留学生が集まる)のクラスの中でも苦戦していました。でも彼女、校内でも特に友達が多く、プレゼンテーションも上手いので、そこに重きを置く先生のクラスでは常に高評価!もちろん彼女の持って生まれた魅力はあるんですが、それ以上に、彼女の強みは、シンプルな言葉を簡単な文章で投げまくる力だと思います。例えば、お店で食べ物を注文するときに私なら「May I have a bean soup with a salad please?」と言うところを、彼女は「I want bean soup! And salad!」と言っておいて、出されたら、満面の笑みで本当に嬉しそうに「Thank you!!!」と言うんです。もしこれが何かの文章問題なら、私の答えが○で、彼女のは△か×でしょう。でも実生活では彼女の言葉はかなり効果的でした。
今、英語の講師と言う仕事をしていて気になるのは、子どもたちが「できるだけ間違えないように正しく」の精神を大人と同じように宿しかけている点です。立派な心がけとは思うのですが、そればかりにとらわれていては、いくら早くから語学を始めようと国際社会で影響力のある存在にはなれないと思うのです。(正しい文章の組み立てや複雑な言い回しは後付けでどうにでもなるので。)言い換えると、語学力と国際力を身につけるには、図太くあれ、ということです。

やっぱり長くなってしまった〜 読んでくださった方、ありがとうございますm(_ _)m